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ぬるま湯に浸る

2.5と呼ばれる舞台やら推しやらアニメとか。ゆるっと日常も。

そういえばの話。

推しのこと 吐き溜め 若俳のこと

1推しくんは、ただいま絶賛舞台に出演中だったりします。

しかも主演。

 

2月の朗読劇は、行かないという選択をするまでめちゃくちゃ悩んだし、

公演始まる時間辺りには、行かない自分に申し訳なさすぎて胃が痛くなる思いだった。

 

今までだって、そんなに多くの回数劇場に足を運んだ訳ではないけれど、

わたしみたいなちっぽけなファンの1人が公演に入らなくても、推しくんはお仕事を全うするんだなって。

 

きっと、今までのわたしは、

推しくんにとってただのファンの1人っていう現実から必死に目を逸らしたかっただけで、

“ちっぽけな、数多くのファンの中の1人”っていう紛れもない事実を認めたくなかったのだろうなと気づかされました。

別に繋がりたいとか、リアコじゃないつもりなのにね。

リアコじゃないけど、数多くのファンの1人としては思われたくないって、めちゃくちゃ矛盾してるし、

バンバン公演入ってる訳でもなければ、貢いだりお金落としてる訳でもないのに、そんなこと思うのって馬鹿すぎる。

 

自分でも笑えるけれど、ほんの1ヵ月前の自分は、割と本気でそんな風に思っていたんだよなあ。

 

結果的に、わたしの推しくん連続観劇記録が途絶えたのは2月の朗読劇になったけど、

今やっている作品は、発表がされた時点で見に行かないと決断していました。

 

推しくんの、初主演舞台を飾った作品が、今出演中の劇団が主宰の舞台なんですよね。

初主演っていうのがとても嬉しかったし、

小劇団ではあるけれど、今まで見てきた舞台とは、世界観も雰囲気も全然違っていて。

その中で、生き生きと役を演じる推しくんの姿を見て、

彼にはこういう世界の方が合っているのかなって思ってました。

 

主演ではないけれど、その後もその劇団の舞台には出演することがあって。

最初は、彼が1人の役者として評価されたのかと思ったけれど、

商法的に、彼のファンはお金を落としてくれるから、

彼を使うことが、劇団の興行的にも…とか、そういうことを考えてしまったんですよね。

 

推しくんは、まだまだ仕事を選んだりできる立場の役者ではないことは、わかっているつもりです。

ストレートな言い方してしまうと、客寄せパンダだったとしても、仕事があるだけ恵まれているということも、理解してはいるんです。

 

それでも、わたしは何となく、今回の舞台に納得の出来ない部分が多かった。

 

あと、わたしの購入したチケット代や諸々のお金が、あの劇団に落ちるいうことが、どうしようもなく、そしてとてつもなく嫌だったんです。

 

色々不満があるんですよ、今回の舞台。

 

今流行ってるんですか?

観客も移動して観劇するスタイル。

謎解き要素があるのかないのかわからないけれど、

わたしの思いとしては、「いや、普通に座って観劇させろや」の一言に過ぎる。

 

観客も作品の登場人物の1人みたいな効果を狙ってるのか知らないですけど、

わたしはあくまで観客の1人として舞台を見に行っているという認識なので、そういう意味で、作品の世界を体感出来る要素ははっきり言って必要ないです。

 

匂わせる程度の演出なら全然構わないんですよ。

例えば、『さよならソルシエ』は、

原作とは違って、最初にあのシーンを持ってくることで、

わたしたち観客も、フィンセント・ファン・ゴッホという画家の人生を作り変えるという“共犯者”の1人になります。

だからと言って、 作中に役者と絡む訳でなし、

寧ろあの演出があって、観客が一気に物語の中に引き込むことが出来ていると思ってので、あの演出すごく好きなんですけど(来週からの再演が楽しみです)。

 

そして、歩いて観劇のスタート地点が分かれてる時点で、リピート強制されてる感がハンパない。

その中でも、いくつかグループが分かれてて、グループによって出会う人物も違うから何回も行きたくなるよ!ざっくりさせるとレポにはそんな風に書いてあったけど、1回しか行けない人への配慮とかないんだな、何回観劇させるつもりなんだろうとしか思えなかった。

1回の観劇では、出会えない人、遭遇しない物語もあるって、それって舞台としてどうなの???っていう疑問が沸くんだけど、わたしがあの劇団に嫌悪感抱きまくってるせいなのだろうか。

 

あと、見てないからわかんないけれど、屋外に行ったりするっぽいんだよなあ。

このくそ寒い時期に。

あんまり身体が丈夫でないわたしのような人間にはちっとも優しくない。

 

アプリもあるらしく、DLしてるともっと楽しめるよ!とか読んだけど。なんだかなあって思うというか。

観客は、そういうものを求めてるんじゃないんだけどなあ…感がすごい。

 

推しくんのブログでは、なんだか充実した稽古と本番を過ごせているみたいなので、良かったねという親戚のオバチャンみたいな目で見守りつつおります。

早く終わってくんないかなあ。

 

今まで、演出家とか主宰とか、そんなに考えたことなかったけれど、

役者以上に舞台観劇する上で重要な要素だなって痛感してます。

苦手だなって人の演出とかさ、観劇してる時間が苦痛で仕方ないみたいな経験もしました。

奥が深い世界です。改めて思う。

 

確かに、推しくんは今作でも素晴らしい演技をしてるかもしれないけれど。

役者として、また1つも2つも成長する推しくんのきっかけみたいな作品が見られないことは残念ではあるけれど、

こんな気持ちで推しくんの現場に行って、良い作品だったなんて口が裂けても言えないだろうし、

推しくん本人には何の罪もないし、

推しくんのことは、基本的に悪く言いたくないので、悪いことを口走りそうな作品なのだとしたら、それは行かない方が賢明なのかなと。

 

行かないという選択をすることも、時には必要なんじゃないのかなって思ったんですよね。

 

わたしはあくまで趣味として、舞台を観劇しに行っていて、

好きなこと、元気になれるとか、わたしにプラスの感情を抱かせてくれることのの1つが、

推しくんに会いに行くっていう行為なんだってことを忘れちゃいけないと改めて思いました。

 

例えばそれが義務のようなものになってしまっていたら、

見るのも苦しいのに、それでも見に行かなきゃ、会いに行かなきゃっていうのは、

 

それは、果たして趣味と言えるのだろうか。

 

そんなことを考えながら、最近過ごしています。