ぬるま湯に浸る

2.5と呼ばれる舞台やら推しやらアニメとか。ゆるっと日常も。

さよならではなくまたね!って笑いたい

春は出会いと別れの季節なんて昔も今も使われる言葉ですが。そんな春はもう終わったろうが!1月も前の話だよ!

社会人になってみたら、出会いだとか別れだとか、そういうものとはだんだんと無縁になっていくのかもしれません。リア充くらいじゃね?別れただとか別れたいけど…とかごちゃごちゃしてるの(リア充に対する偏見が凄まじい)

完全に私事ですが、そんな自分にも「別れ」の春というものがございました。わたしには、10も歳の離れた弟がいまして。実際、もう1人弟はいるんですけど、そっちとは歳が近いので、物心が付く頃から、弟という存在はいつもわたしの中に付きまとってたんですよ。なので、姉として弟の面倒を見てあげる!みたいな記憶は、ずっとなかったんです。10歳になって、2人目の弟が誕生するまでは。物心というか、姉心みたいなものが芽生えてから出来る弟は、それはそれはかわいい存在でした。おしめ替えてあげたり、ミルクあげたり、一緒にお風呂に入ったり。家族の中で1番寝かしつけるのが上手だったこと。初めて寝返りを打った時の表情。初めて歩いた時のこと。泣き虫で甘えん坊で、幼稚園に自転車でお迎えに行ったりもしたなあ。年長くらいになると、家の前の坂を登るのがキツくて、わたしはぜーぜーして自転車を押してる中、後ろに座って楽しそうに今日あったことを話してたこと。わたしの携帯を勝手に弄って自撮りしてたり(まだ自撮り文化のないような時代ですよ)、変なムービー取ってたり。ムービーのデータは残ってるので、いつか弟が結婚するってなった時に絶対流してやるって決めてます(ウザすぎる姉である)

そんな弟が3月で高校を卒業し、新しい道に進むことになりました。それに伴って、実家からも出ることになって。わたしの家は決して裕福な家庭ではないのだけれど、母親は「学歴がないことを足枷にしたくない」と常々言っていて、だから、わたしも上の弟も普通に大学に進学しました。わたしは現役が無理だったので、浪人生活も経験したけれど、その時も「大学には行かない」という考えは、まったくと言っていい程わたしの頭の中にはなかった。それ位、当たり前のことみたいに考えてたんです。世の中には、色々な事情で行きたくても行けなかった方、夢を叶えるために大学ではない道に進むという決意をした方もたくさんいるかと思います。

わたしの弟もそうでした。彼は、大学には進まないという道を選んだんです。

何となく大学を出て、ふらふら生きてきて、何となく今の仕事をしてる。やりたいことも、将来どうなりたいみたいな展望も特になく、本当に毎日をただ「生きてる」だけのわたしなんかより、いつの間にか、彼は身長もそして心も大きくなっていたんだなって。いつまでもかわいくて仕方のない弟ではもういてくれないのかなって少し寂しい気持ちはありますけど。大人になったんだなあ…親みたいな複雑気持ちでした。高校を卒業したら大学へ。みたいなものが、わたしの家庭では普通の感覚にあったので、敢えてそれを捨てて、本人のやりたい道に進む。それは実はすごく勇気の必要なことだと思うんですよね。敷かれたレールを何となく進む方が楽に生きられるのかもしれないけれど、彼は、自分でレールからは外れた獣道みたいなルートに進んでいきました。

大学ではないけれど、一応、学校ではあります。でも、家族は彼の進路については反対でした。わたしは弟溺愛のブラコン拗らせモンスター姉ちゃんだから、やっぱり今でも手放しで応援は出来ない…。そんな道に彼は進んでいきました。自分の将来のことや、自分のやりたいと思うことを貫くこと。親や周囲の反対を押し切ってでも、その信念は絶対に曲げずに旅立って行った彼は、いつまでもわたしの中での小さなかわいい弟ではなくなったんだなあ…と、入学式で彼の後ろ姿を見て感じました。

そう!入学式に行ってきたんですよ。そうそう関われるものでもないし、折角の機会だからって旅行がてら母親と2人旅をしてきました。制服に身を包んだ弟は、鼻の穴しか映ってないみたいなへんちくりんな自撮りムービーを勝手に撮ってた愛らしい面影なんて何処にもなくて。わたしよりもずっとずっと背も大きくなって、いつも猫背だった背中がシャンとしてました。泣くかと思ったわ…(サイコパス姉ちゃんもいいところである)けど、喋ると普通にわたしの弟でしかないところがまたかわいくて。どんなに大きくなっても、環境や周りや本人の考え方や価値観とかが変わっていってしまっても、わたしの弟としての彼はこれからも変わらずいてくれるんだろうなって思ったら、少しだけ安心しました。お別れはあっさりしすぎてて、「泣いちゃうかも〜」とか言ってた自分が馬鹿みたいに思えるくらいあっさりすぎたけど。でもそれで良かったんだと思います。一生会えなくなる訳じゃないですしね。モンスター姉ちゃんなわたしは、最後まで「おめでとう」という言葉を口にすることは出来なかっただめだめな姉ちゃんで本当にごめんだけど、新天地で頑張ると決めた弟の覚悟とその気持ちは応援したいと思います。わたしは君が幸せに生きててくれればそれだけでいいんです。身体には気をつけてね。行ってらっしゃい、またね。

 

さようならじゃなくて、またね!って笑いたいなあって、わたしはその時に果たして笑顔で「幸せになってください」と言えるのだろうかって、最近よく考えるんですよ、若俳の引退やら、アイドルの卒業発表とか聞くと。

ハロプロの子に関しては、わたしは完全に俄の茶の間で、寂しいなんて、ファンの人たち、彼女を推してきたたくさんの方たちのことを考えるとそんなこと口に出来ないとは思うんですけどね。アイドルは茶の間でいようって決めているんです、わたし。男性アイドルだって卒業やら引退とかあるけれど、女の子のアイドルって、男性と比べると遥かにアイドルとしていられる期間が限られてしまうじゃないですか。20歳を待たずに卒業するのだって珍しいことでもない世界です。めちゃくちゃ現場に通ってて、最高の卒業式を見ることが出来たとしても、ありがとうって気持ちも、貴方を応援してきた日々が幸せだった、出会えて良かった推してて良かったと心の底から思っていたとしても、「寂しい」って思いはゼロではないんじゃないのかなって思ったら、わたしは茶の間くらいで良いと思ってしまうのです。

わたし、推しくんが引退発表とかしたら生きていけるのだろうか。生きてはいけるんです、きっと。何となくダラダラと推しくんがもう一般人になってしまった現実を受け入れつつ受け入れられずぐずぐずとわたしはわたしの人生を生きていくのでしょう。それがまた悲しいというか。別にリアコでも何でもないし、全力で推してるファンには申し訳ないですけど、推しがいなくても生きていけるんじゃんっていう現実がまた辛いというか。そんないつかの話は近いのかもしれないし、ずっとずっと遠いのかもしれないし、一生この世界で生きていってくれるのかもしれないし。彼のことは彼にしかわからないけれど、そういう未来が訪れない可能性がゼロではないんだと考えると、とても怖くなります。

今回、卒業発表をした彼女は、アイドルをしていく中で、新しい夢が出来て、その道を進むという決断を下しました。若俳の1人も、ずっと興味のあった芸能とは別の夢に向かって進もうと決意した。芸能人って華やかでいつもキラキラしてるんだろうなとか思うんですけど、こういう彼等の心の葛藤とかを聞くと、彼等も彼等なりに悩んで、自分の敷かれているレールを進むだけで良いのだろうかって考えたりするんだな、彼等も人間なんだなって当たり前のことを思います。わたしなんかよりも遥かに忙しくて、目まぐるしい毎日を過ごしているでしょうに、その中で今の自分の在り方や、将来、自分の本当にやりたいことを考えて生きてるのって、単純にすごいなって思います。毎日、起きて電車に揺られてダラダラ仕事して、家に帰って寝るみたいな、そんな疲れきった人生しか送れていないわたしからしたら、彼等の決断は、ファンの人間からしてみたら悲しい、寂しいことなのかもしれませんが、一人間として、そういう決断が出来るって素敵な人だなあって思うんです。敷かれたレールの上で、別の舗装も何にもされてないような道とも言えない場所に進もうってあんまり思わないじゃん。そういうレールから離れて自分で道を切り開こうとするのって、大人になればなるほど難しいことだってわかるから。だから、そんな人たちの決めたことを、寂しいけど応援したいなって最終的には思います。笑ってありがとう!と伝えられる強くて優しいファンになりたいものです。幸せに生きていって下さい。