ぬるま湯に浸る

2.5と呼ばれる舞台やら推しやらアニメとか。ゆるっと日常も。

どうやら勘違いをしていたようだ。

先日のブログ内容についてですが改めて2推しくんのニコ生やブログを読んで、もしや自分めっちゃ大きな勘違いしてない???ってなったんですよ。

 

 

 

 


ラストの三日月顕現シーン。

 

円環の果て。山姥切との一騎打ちの後に三日月は刀解され、その存在は消滅します。

かつての日常とは言い切れないですが、平穏な本丸の風景これまでのナレーションも三日月から山姥切に変わることで円環の輪は断ち切れ、

三日月宗近という存在が本当に消えてしまったのだと思い知らされます。


そこからの!!!!!!

桜が待って、穏やかな微笑みを携え、三日月宗近が姿を現し顕現のセリフで終幕じゃないですか。

 

 

 

 


前回の記事を上げたときに、わたしはあの三日月は2振り目に、再び本丸に顕現した三日月宗近(not円環)だと思ってたのです。

 

しかし、そうなると2推しくんのニコ生での発言におや??ってなる部分があって。

そこからブログを読んでやっぱりニコ生の言葉は聞き間違いではなかったようだ。⇒わたしの勘違いかーーーーーーい。という。結論。QED

 

 

 

円環の始まりと終わりってどこなんだろう。

三日月はどこからどこまでを繰り返し繰り返し廻り続けていたのでしょうかね。

 

わたしの中では、顕現から刀解までを繰り返してたのではないのかなあって思っています。

 


一騎打ちの時に、『その目でいつもオレを見た』っていうセリフがあるので、

その言葉を素直に飲み込むと、円環の果てで山姥切と一騎打ちをしたのは1度きりではない…?


あと、千秋楽との違いレポを読んでて、“顕現時との表情が違う”というのがあったので、

暗い、沈んだ表情なのは、消えたはずの自分が、また同じ本丸に顕現してしまった(円環の輪からの脱却失敗)ということ…?

 

円環後の本丸の様子が描かれてしまってたので、あの顕現シーンも円環の輪から抜け出すことの出来た三日月が、

再びあの本丸へ…!というニアハッピーエンド的なエンディングだと思ってたんですけど。

 

 

 

 

 

 

結いの目三日月の顕現シーンの回想、と考えた方が、全部しっくりきてしまうなあと思いました。

そして、あの三日月が、結いの目三日月なのだとしたら、ラストに顕現されたあの存在というのは果たして円環から抜け出した三日月なのか…?という疑問が出てきて、一気にうすら寒い気持ちになりました。ずーん。

 


実に末満さんらしいエンディングだとは思うんですけど、こっちのほうが。

 

 

 

前回の記事でも言った言葉ですが、この物語のハッピーエンドはどこにあったんですかね。

どこでtrueとbadに分岐するきっかけがあったのだろう。きっかけは何で、誰がそのカギを握っていたのだろう。

 


刀解という結果は変えられなくても、消えていく三日月の心情に変化があったのなら、同じ結末でもbadとtrueに分かれると思うので、

分岐が2人の一騎打ちだったならいい。

 

山姥切が勝利することが円環の輪を断ち切ることができる勝利条件だったのならいい。

 

 

 

三日月を救うことは叶わなかった。そのことを悔やんで涙を流した山姥切だったけど。

どのルートに進もうと三日月の消滅は避けられないことで、“円環の輪”から彼を救い出す術が山姥切の勝利なのだとしたら、

三日月にとっても、山姥切にとっても、少しだけかもしれないけど、そこに救いはあったのではないかなと思う。

 


結末は変わらなくても、そこに至る過程が違うだけで、関わる者の心情が違うことで、物語はどんな形にも変化するものだと思う。

 

想像するしかできないけれど。

穏やかだった三日月の最期の表情が、すべてを物語っているのではないかなと。前を向く本丸のみんなの可能性は無限大だと思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考察しないっていったくせにしてんじゃねーか!!!!!と思った方には心を込めて土下座します…


本日も素敵な推しライフを。