サヨナラの準備を。
ごきげんようございます。
素敵な推しライフは満喫できておりますでしょうか。
思えば、人生の半分をオタクとして生きている気がする。
モチベーションや感情の浮き沈みもあったし、精神と身体の均衡を保つために本当に本当にマイペースではありましたけど。
わたしは、わたしの出来る範囲の中で、全力でオタ活と推し活に勤しんできたつもりです。
このブログの1番最初の記事や、度々言葉にしてきた[サヨナラの日]。
その問題と向き合わなければならない時がとうとう来てしまったみたいです。
きっかけは、推しくんへの思いが変わったわけでも、舞台への熱が冷めたわけでもないです。
わたしの周囲の状況が、めまぐるしく変わろうとしています。要するに家庭の事情というやつです。
いざ、その時が来るかもしれないとなると、やっぱり寂しいですね。
まだまだ応援したい気持ちも、現場に通いたい気持ちもあるのに。
でも、ここまで趣味に生きることができたのも家族という存在があったからで、
趣味のために上京することを許してくれたことも、家族の理解や懐の大きさがあったからこそだと。
人生は自分だけのものだと思って生きてきた節のあるわたしですが、こんなに好き勝手に生きるわたしを許してくれたことって、当たり前のことではないのではないか。
先日、実家に帰省したときになんだかそれを心から感じる瞬間が多々ありまして。
わたしは、本当に恵まれた家庭環境にいたのだな、生きるのが下手くそだと今でも思っているけれど、上手に社会の中で生きることはできないけれど、
どうやらすごく幸せ者みたいです、わたし。
そんな事実に、30年生きてきてやっと気づいたんです。馬鹿ですね。
20代後半、好きに趣味に生きることができた。それだけで、十分幸せな、かけがえのない宝物のような毎日を送ることができた。
もう、十分なのかもしれません。ちょっぴり寂しさや悔しさや、羨ましさはあるけれど、これまでの思い出だけを胸に、生きていくことができる気もします。
とってもとっても幸せな日々を過ごせたから、それを許してくれた家族のために、来年からは生きていこうと思います。
ということで、来年からの予定が、まったくの未定になってしまいました。
こんな文章書いておいて、のんびりオタクしてるかもしれませんし、茶の間としてひっそりと遠くから推しくんたちの活躍を見守っているかもしれないです。
わからないことは怖いし、サヨナラの時が急に訪れるかもしれないという、今直面している状況がめちゃくちゃ怖いのです。
でも、もしサヨナラを選択することになったとしても、わたしはわたしの決断を間違っていると思ってしまわないために、今からサヨナラへの準備は、心の整理はしておこうと思ったので、文章に残そうと思い至りました。
推しくんとは別のベクトルで、わたしにとって家族はかけがえのないものです。
そんな家族が悲しい思いをしているとき、寂しいと感じる瞬間、そばで寄り添うことができない方が、ずっとずっと後悔すると思うから。
今回の帰省時に、家族もうぶっちゃけちゃうと母親なんですけど、いくつかの提案をしました。
母がどの道を選択するか、わたしにはわかりません。
でも、母の選ぶ道に、わたしはついていくことに決めました。例えそれが、オタ活や推し活を卒業する道だとしても。
オタ活はわたしの荒んで沈んでいた心をいつでも癒してくれたし、推し活ではたくさんの幸せをもらえました。
でも、わたしが本当に辛くて辛くてどうしようもないとき、無条件にわたしを支えてくれて、引っ張り上げてくれたのは、推しくんではなくて、家族でした。
推しという存在に何を求めているんだって感じですけど、推しくんは、わたしの方からお金を払って会いに行かなくては決して交わることはありません(当たり前だ)。
交わるどころか一方通行にわたしが勝手に推しくんを応援しているに過ぎないので、推しくんに家族や恋人のような感情は抱いてはいないですし、求めてもいないのですけど。
わたしが本当にしんどいときに、何の見返りもなく、条件もなく、自分という存在を生かしてくれるのは、当たり前ですけど、推しくんではなかったなと。
わかっていた事実だし現実だけど、こんなこと推しくんに対して1ミリでも考えてしまう自分が浅ましい生き物に思えて仕方なかったから、ずっとずっと目を背けてきました。
[推し]という存在は(わたしの)世界を救ってくれるという夢をいつまでも見ていたかった。
わたしは夢からは醒めてしまったけれど、だからといって推しくんへの感情が、熱が変わることはありませんでした。
ずっと、現実に目を向けてしまえばわたしの中の何かが、推しくんという存在への何かが変わってしまうのではないかと思っていて、それがとてつもなく怖かった。
推しくんや趣味への情熱を失ってしまったら、わたしはこの先どうやって生きていけばいいのかわからないくらい、わたしには趣味しかなかったから。
でも、夢から醒めても情熱は失われなかった。これだけで嬉しくて幸せだと思えた。
だから、趣味に対するアプローチの形が変わってしまっても、わたしはきっと大丈夫。生きていける。
今年はやりたいこと、野望や展望は全部叶える1年にしようと心に決めていました。
生き急いでいたわけではないですが、そうしなければならないとわたしを駆り立てる何か、予知夢みたいなものがあったのかもしれないと今になってはそう思います。
そんなわたしの30歳の夏が終わろうとしています。
30歳を迎えた春、そして夏と、いろいろな意味で衝撃的でスリリングででも最高に楽しくて幸せで、忘れられない日々が続いています。