ぬるま湯に浸る

2.5と呼ばれる舞台やら推しやらアニメとか。ゆるっと日常も。

同情するなら金をくれ(切実)

タイトルの通りのくそ思考を書き殴っただけ。

 

 

 

ごきげんようございます。

本日も素敵な推しライフは満喫できておりますでしょうか。

 

 

 

 


この趣味って金がかかる。病む。

薄給なくそブラック会社の窓際人間には金がないっていう現実が辛いししんどい。

はてブ漁ってて熱烈ダイレクトマーケティング作品とかあると、推しはいないけど行きたいな~~~~~~って気持ちにさせられるからこの世界は危険だって思う。

 


そもそも普通に?生きてるだけで息を吸って吐いてるだけで、【人間】という種別に生まれてしまった時点で既に金がかかる。金がないと生きることも息吸って吐くことも出来ない。人間生活を営むことも困難。めんどくさいね。病む。

 

 

 

わたしの個人的な事情を暴露しますね。

 

わたしは自律神経をやられてしまった後にうつとパニック障害を発症してしまったんですけど。金がないっていう現実と向き合わなきゃいけない瞬間にどうしようもなく人生を終わらせたくなるしもう楽になりたいなって涙が出る。

本かネットの記事だったかで「うつ病の人間にそれなりの金を与えれば症状は回復する」っていうのを目にしたことがあるけど、あながち間違いとも言えないな~~~って思う。お金がないからうつになったのか、うつになっていろいろなものを失くした結果、お金も尽きてしまったのかにもよるのかもしれないし、うつだけど超絶金持ちも世の中にはいるのかもしれないけど。


こんな病気になる前から貯金とか将来設計とかもせず、刹那的に生きてきたわたしにとって、うつになったことは一大事だった。

金がない。とにかく金がない。

雀の涙以下の貯金なんて一瞬でなくなった。


でも、この趣味をやめよう、節制しなければって気持ちにはならなかった。

病気になってからの方が金遣いは荒くなったと思う。いろいろなことを我慢したり諦めなきゃいけなくなった分、そのストレスや現実や鬱憤やいろいろなものから目を逸らすために趣味を、推しという存在を利用した。

舞台を見ている間だけは、推しくんを見ていられる時間だけは、嫌な仕事も病気のことも現実も、全部ぜーーーーんぶ吹き飛んだから。嫌な現実や社会の中のちっぽけな人間だってことを忘れさせてくれたから。推しくんはわたしの世界を変えてくれる存在なんだって思っていた。思っていたかった。

でも、【現実】の捌け口に推しくんという存在を利用してただけだとやっと気づいた。馬鹿だ。愚か者だ。汚い奴です、わたしという人間は。

推しくんに依存しているくせに、チケット取れなくて勝手に病んでみたり金がないのは趣味に夢中なせいって理由をつけて。推しくんに夢中になったのは、世界を変えてくれるって夢見てたのは他でもないわたしのエゴイスムでしかないというのに。本当に馬鹿だと思う。

 


極々一部の友人以外には病気のことは黙っていたから、生活レベルを変えることも嫌だった。その日の気分や体調によっては動けなくなることもあるけれど、友人にも知人にも勿論家族にも、病気のことで気を遣われたり心配されたり同情の目を向けられるのが死ぬほど嫌だった時期もあったりして。

結局、病気ともちゃんと向き合うこともせずオタク活動を続けて、友人たちにはめちゃくちゃ迷惑や心配をかけまくってしまっていたのだけど(本当に申し訳ないと思っているし、こんなわたしを受け入れてくれてそれでもまだ傍にいてくれる彼女たちにはありがとうの気持ちしかない。これからも末長く大切にしていきたい関係です)。

 

 

 

 

で。来年からの推し活動がどうなるかわからなくなった現実に向き合ったときに、やっと目が覚めた気がした。

 

わたし何やってたんだろうなあって。

 

今さら後悔しても、今まで馬鹿みたいに使ってた金や時間が戻ってくるわけではないのだけれど。あ、時間は無駄じゃない。さっき推しに夢みてたことはわたしのエゴだったって言ったけど、推しくんという存在がどん底にいたわたしを救ってくれた事実とあの時間は一生忘れたくないし、たとえこの界隈から卒業することになったとしてもわたしの中でずっとずっとかけがえのない大切な宝物であり大事な思い出として心にしまっておきたい。たまーにその宝箱を開けて、推しくんのブロマイドやパンフやDVDを見て、当時のキラキラした時間のことを思い出したい。今の推しくんを直接応援できない寂しさはちょびっと感じるかもしれないけれど、それでも笑って推しくんの輝かしい未来を想像できる自分でいたい。作品を肌で感じることはできなくても、遠くから応援してブログやTwitterや配信なんかから伝わる姿を見て、笑顔で、頑張ってるんだなあって思える自分でいたい。そして、それを励みにして自分も頑張れる今日も生きていけるよって思えていたらいい。推しくんの未来が輝やかしいものならいい。推しくんが、今日も明日もその先の未来も、苦労や困難はあれど幸せであれたら、わたしもきっと幸せだ。

 

 

 

来年のことは未定だけれど、どんな道を選ぶとしても、少し現場からは離れて茶の間になろうと決めました。わたしの推し活は今年で一旦おしまい。来年はゆるく茶の間をしつつ、心と身体を元気にすることを第1にしようと思います。

何年かかるかわからないけれど、まともなわたしになって、自分の無理のない範囲の中でまた0から推しくんを応援したいです。


金銭の感覚が馬鹿になっていたわたしは、手を出しちゃアウトなところにまで踏み込んでしまいました。お金に追われて、お金のことを考えるだけで胃が痛くなる日々にもう疲れてしまった。

 

推しくんに会っても恥ずかしくない自分になりたいから、真人間になれるように、まともに社会生活を送れるように、来年からは努力していこうと思います。

 

 

 

趣味の中で無理をしないって大事だけどわたしにとってはとても難しいことでした。普通の人にとっては簡単なことで当たり前のことなのかもしれないけれど。そんな感覚すらわからなくなってしまうくらいわたしの精神状態は異常だったと今は思います。

毎日毎日嫌なことしかなくて身体も心も摩り減ることばかりの日々の中で、どうして好きなまで我慢しなきゃならないの?抑制されなきゃならないの?って本気で思ってた。好きなことをするために必要なお金がないなら…っていろいろなものに手を出しました。

そういう方法で好きなことを好きなだけすることに抵抗がなくなったわたしは、いつしかそれが毎日の生活にまで浸食していき、圧迫していくことに何の違和感も罪悪感も沸かなかった。自分で自分が怖いです。

罪悪感を感じてしまうと、この世から消えてしまいたくなるのがたまらなく嫌だった。だから、ずっと見ないようにしてきた。

 


でも、そんな生活はやっぱり長くは続きません。絶対にいつか限界が来ます。わたしのように。

わたしは崖っぷちになってようやく目が覚めたくそ野郎なのですが、このブログを読んでくださっている皆さんはまともな金銭感覚の持ち主であることを信じています。現実帰ると、まじで後悔しかないよ!!!!!!!!!無理のない推し活だいじ!!!!!!!!!声を大にして言いたいですね。

 

 

 

来年度の待遇にもよりけりですし、わたしの住まいも未定なので何とも言えないですけど、このまま現状維持だとしたらこんなブラック会社は退職することも決めました。会社に騙されるように良いことばっかり言われて信じたわたしが馬鹿だったし、こんな自分を拾ってくれたことに恩義も感じていたからがんばろうとも思っていたけど。

そういう誠意は金という形で評価してください!!!!!!!!!!!!!って感じなので。入社してから1度も給料上がらねえ、査定もねえ、面談もねえ、勿論賞与なんてものもらったこともねえ。

言語道断。おさらばです。

こんな会社に恩義とか感じてた自分も馬鹿くさい。ほんとに馬鹿みたい。これこそ時間の無駄ってやつです。わたしの貴重な20代という肩書きを返して。まじ。

 

ということで来年からは全部真っさらな状態で、やっと社会というしがらみの中でもがいて生きていこうと思っています。まずは心身ともに健康になることから始めます。人間としての第一歩。

 

 


有給という定義すら曖昧なくそ会社なので、普通に2推しくんの舞台のために休みを入れました。

これで、2推しくんとは最後になるかもしれません。次に会えるのはいつになるのだろう。

バイバイのときがやって来ようとしています。


※注意※

前回のブログでこれで2推しくんと最後になるのか~~~~~~~っていう現実を受け止めきれなかったわたしは、平日だから…という理由で見送ってた舞台のチケットを取得!よっしゃ行ってるで〜〜〜と謎の行動力を発揮させました。

 

 

 

 

今回は、ちゃんとサヨナラだって覚悟を決めて、2推しくんの姿を目に焼き付けようと思います。話の題材も重そうだし、これで最後かと思うときっと泣いちゃうんだろうけど。感動的な話だったら、泣いてるわたしみたいなのがいても目立たないよね。

 

 

今度はきっと大丈夫。現実を受け入れることが出来たから。推しくんの全部を忘れないように胸に刻もうと思います。泣いて泣いて、でも最後は笑って、バイバイを心の中で告げてきます。