ぬるま湯に浸る

2.5と呼ばれる舞台やら推しやらアニメとか。ゆるっと日常も。

if:TRUMPシリーズ感ゴリゴリの悲伝。

ごきげんようございます。

本日も素敵な推しライフは満喫できておりますでしょうか。

 

 

 

タイトルの内容をあーでもないこーでもないって想像してたら予想以上に楽しかった!!!!!というだけのお話。

 

 

 

 

 

 

if1:一騎打ちの後に三日月宗近は消滅する場合(通常通りの悲伝)

 


・時鳥(鵺)の正体は何度目かのループの末に歴史修正へと考え方が変わってしまった三日月の成れの果ての姿。

⇒自身の成れの果ての姿に衝撃を受けた三日月は鵺を取り逃がしてしまう。

⇒その様子を目撃してしまう燭台切。

 


・燭台切vs三日月。

⇒何らかの理由で鵺≒三日月の真実を知る燭台切が三日月を折ることを決意。

⇒燭台切は三日月に折られる。

⇒山姥切目撃。

⇒山姥切絶望。

 


・時間遡行軍本丸襲撃。

⇒刀剣男士はほぼほぼ折れる。むしろ山姥切以外折れる。

※主にスーパー掃除機みたいな能力はない。

⇒山姥切2度目の絶望(三日月は本丸襲撃前に姿を消している)。

 


・極めの2振りは本丸襲撃の直後に帰還。

⇒壊滅寸前の本丸前に佇む山姥切を発見。

⇒間に合わなかったことに深く後悔。

 


・鵺との死闘。

⇒まさしく死闘の如く極めの2振りが折れる。

⇒山姥切絶望(3度目)。

 


・三日月vs山姥切の一騎打ち。

⇒一騎打ちの最中に、自身と鵺の関係を自白する三日月。

⇒山姥切4度目の絶望。

⇒自身が結いの目という存在となり、円環の中をループしていることを自白。

⇒三日月の苦しみを理解できなかった自分に山姥切絶望(畳みかける絶望コンボ)。

⇒一騎打ちの果てに三日月消滅(どちらが勝っても三日月は消滅)。

⇒本丸唯一の刀剣男士をなってしまった山姥切。絶望(n度目)。

 


・絶望する山姥切に、ふと失ったはずの刀剣男士から声をかけられる(長谷部か燭台切あたり)。

⇒顔を上げる山姥切の前に、かつての本丸の刀剣男士たちが現れる。

⇒自分は悪い夢でも見ていたのだろうかと考える山姥切。

⇒何かの一言をきっかけに、今の光景を以前も見たと気づく。

⇒山姥切、今度は自身が円環の中に囚われていることに気づく。

⇒あまりの絶望に叫ぶ山姥切の絶叫と共に暗転。終幕。

 

 

 

 

 

 

 


if2:三日月宗近が消滅せず、円環の中から救い出すことができた場合

 


・ただし、悲伝の前に「終伝」という名のタイトルで公演がある。

※時間遡行軍の襲撃(with大量の検非違使付)もしくは本丸解体により、未来の本丸が存在しないことを観客が知っている状態。

⇒円環から抜け出せたよ!ハッピーエンドだね!!!!と思わせるENDだが、

その後に本丸がどのような結末を迎えるか観客は知っているので、後味の悪さしか残らない。終幕。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶望に泣き叫ぶ発狂演技見たいなあ…という完全にわたしの性癖の元に生まれた妄想でした!!!!!!!!すみません!!

※主のスーパー掃除機云々は、2推しくん発信です(ダイソン)。

 


わたしは、吸い込まれる時間遡行軍の皆さんを見ていて、『人類は衰退しました』の妖精さんみたいだなあって画面を見ていました!!!!!!!

時間遡行軍と主の話をしているときの2推しくんが最高におもしろかったので、思わず話に組み込んでしまいました…。

 

 

 

 

 

 

そう言えば、悲伝千秋楽の数日後に1推しくんの舞台を観劇してきました!!!!!

こちらはめちゃくちゃドコメディで、実は…みたいな設定が終盤に明らかにされるんじゃ??って邪推しつつ見ていたわたしは見事に肩透かしを食らいましたとさ。

サブカルくそ野郎!!!!!!!!!!」と過去の自分に叫ぶ推しくんが最高でした。

1推しくんは、2推しくんと違って、感情を爆発させる役も多いですし、1つの作品の中で、喜怒哀楽全部乗せ!!!みたいな演技をするので、ファンとしても見ていていろいろな感情に支配されます。

違ったタイプの推しなので、応援していてとても楽しいですし、舞台というものの奥深さや、演劇の無限の可能性みたいなものをいつも考えさせられます。

 


相変わらずまったりマイペースではありますが、

推し活に正解はないと信じて、わたしはわたしのペースで推しくんたちを応援していきたいです。

どうやら勘違いをしていたようだ。

先日のブログ内容についてですが改めて2推しくんのニコ生やブログを読んで、もしや自分めっちゃ大きな勘違いしてない???ってなったんですよ。

 

 

 

 


ラストの三日月顕現シーン。

 

円環の果て。山姥切との一騎打ちの後に三日月は刀解され、その存在は消滅します。

かつての日常とは言い切れないですが、平穏な本丸の風景これまでのナレーションも三日月から山姥切に変わることで円環の輪は断ち切れ、

三日月宗近という存在が本当に消えてしまったのだと思い知らされます。


そこからの!!!!!!

桜が待って、穏やかな微笑みを携え、三日月宗近が姿を現し顕現のセリフで終幕じゃないですか。

 

 

 

 


前回の記事を上げたときに、わたしはあの三日月は2振り目に、再び本丸に顕現した三日月宗近(not円環)だと思ってたのです。

 

しかし、そうなると2推しくんのニコ生での発言におや??ってなる部分があって。

そこからブログを読んでやっぱりニコ生の言葉は聞き間違いではなかったようだ。⇒わたしの勘違いかーーーーーーい。という。結論。QED

 

 

 

円環の始まりと終わりってどこなんだろう。

三日月はどこからどこまでを繰り返し繰り返し廻り続けていたのでしょうかね。

 

わたしの中では、顕現から刀解までを繰り返してたのではないのかなあって思っています。

 


一騎打ちの時に、『その目でいつもオレを見た』っていうセリフがあるので、

その言葉を素直に飲み込むと、円環の果てで山姥切と一騎打ちをしたのは1度きりではない…?


あと、千秋楽との違いレポを読んでて、“顕現時との表情が違う”というのがあったので、

暗い、沈んだ表情なのは、消えたはずの自分が、また同じ本丸に顕現してしまった(円環の輪からの脱却失敗)ということ…?

 

円環後の本丸の様子が描かれてしまってたので、あの顕現シーンも円環の輪から抜け出すことの出来た三日月が、

再びあの本丸へ…!というニアハッピーエンド的なエンディングだと思ってたんですけど。

 

 

 

 

 

 

結いの目三日月の顕現シーンの回想、と考えた方が、全部しっくりきてしまうなあと思いました。

そして、あの三日月が、結いの目三日月なのだとしたら、ラストに顕現されたあの存在というのは果たして円環から抜け出した三日月なのか…?という疑問が出てきて、一気にうすら寒い気持ちになりました。ずーん。

 


実に末満さんらしいエンディングだとは思うんですけど、こっちのほうが。

 

 

 

前回の記事でも言った言葉ですが、この物語のハッピーエンドはどこにあったんですかね。

どこでtrueとbadに分岐するきっかけがあったのだろう。きっかけは何で、誰がそのカギを握っていたのだろう。

 


刀解という結果は変えられなくても、消えていく三日月の心情に変化があったのなら、同じ結末でもbadとtrueに分かれると思うので、

分岐が2人の一騎打ちだったならいい。

 

山姥切が勝利することが円環の輪を断ち切ることができる勝利条件だったのならいい。

 

 

 

三日月を救うことは叶わなかった。そのことを悔やんで涙を流した山姥切だったけど。

どのルートに進もうと三日月の消滅は避けられないことで、“円環の輪”から彼を救い出す術が山姥切の勝利なのだとしたら、

三日月にとっても、山姥切にとっても、少しだけかもしれないけど、そこに救いはあったのではないかなと思う。

 


結末は変わらなくても、そこに至る過程が違うだけで、関わる者の心情が違うことで、物語はどんな形にも変化するものだと思う。

 

想像するしかできないけれど。

穏やかだった三日月の最期の表情が、すべてを物語っているのではないかなと。前を向く本丸のみんなの可能性は無限大だと思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考察しないっていったくせにしてんじゃねーか!!!!!と思った方には心を込めて土下座します…


本日も素敵な推しライフを。

ミライで待ってる。

 

ご無沙汰しておりまーす………(寝起きドッキリ声)

 

本日も素敵な推しライフは過ごせておりますでしょうか?

 

 

 

 

はてさて。いろいろと話題やら物議やらを醸した作品、

舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰

先日?だいぶ??千秋楽を迎えてそれなりの日数が経ちました。

 


感想のようなものを書くか悩んだんですけど。

 

 

 

今回、チケットの女神に見離されたわたしは、2推しくんの復帰作でもあったのですが、劇場で観劇するという夢は叶わずに幕を下ろしました。言い訳はしません。わたしのガッツが足りなかっただけなのですから。

なので、今回わたしが見ることの出来た公演は、大千秋楽のライブビューイングのみ。

 

現地に足を運んで観劇していない以上、

千秋楽での演出変更についての批判や意見を述べる立場ではないのではないかと思ってしまうのです。

物語の感想や考察についても。

 

 

 

まあ、感想は書くんですけど(書くんかーい)

感想というか、いろいろな意見や考察がされていたり、出演者の方のニコ生などで公演への思いなどお聞きした上でわたしが個人的に感じた感想にも満たないものを、今日はずらずら書こうかと思います。

 

 

まずは、2推しくん。おかえりなさい。そしておつかれさまでした。

オタクにとってもしんどい作品ではありましたが、本当に、本当にしんどかったと思います…

 

推しと認識してからの日が浅いので、彼を見る目が他のファンの皆さんとは少し違うのかもしれませんが。


2推しくんの演技って、良くも悪くも“優等生”なのだと認識していました。

なので、彼の殺陣や動きに圧倒されることはあっても、彼の演技に対してわたしの心が動かされることはきっとないのだろうとも思っていました。

結果として、わたしの認識は間違っていました。物語の結末に泣かされたのではなく、彼の演技に泣かされました。

改めて、素晴らしい演技でした。推しという存在って最高ですね。

 

 

あと、2推しくんって根がオタク気質っていうか、脳内は確実にオタクの我々寄りだなってニコ生見てて思いました(笑)

熱く内容語ろうとすればするほど、ストーリー時系列順に喋っちゃう感じとか、

「そこで語彙力なくすんかーい」って部分で「すごい(小並感)」みたいな言葉しか出てこないところとか。


一生懸命話してるのは伝わるし、

作品にもキャラクターにも真摯にひたむきに臨んでいたんだっていうのもわかるんですけどね。

オタクって考察好きな生き物だよなって2推しくん見てると心から思えるというか。それな!ボタンがあれば連打したい気持ちになりつつニコ生見てました。

名前は出しませんが、誰の話してるのかわかるかと思いますので、まだタイムシフトで見られる…はず!ぜひ入会してくださーい(ダイレクトマーケティング)。

 

「AがBでCになっちゃってDも起こってわーーーー!!!」みたいなざっくりしすぎだろって1幕の解説が見られます。爆笑。そういうところ好き。

 


オタク考察しがちって言ったけれど、

個人的に、色々な解釈とか自分の中でも新しい発見があったりとか、そこは盲点だったことやわたしとは真逆の解釈をしている方もいたりして。

そういう文章を読むのがわたしはとても大好きな時間です。なので、たくさんブログ巡りの旅をしております。

 


2推しくんがニコ生で「これは自分独自の設定なんだけど〜」って話してくれた裏話だったり、

長谷部役の和田さんだったかな?「知らない部分は知らないままでもいいんじゃないか(意訳)」っていう言葉を受けて、

なるほど、わたしの心に1番しっくりぴったりくる感想というのはこれだ!って思ったんですよね。

 


考察に考察を重ねることは楽しいですし、オタクやってる~~~感がすごくしますけど、

「正解」は1人1人全員が持っていると同時にどこにも存在しないのではないかな。

「考察」という行為に対して漠然と考えていたものが、より確固なものになったのが、わたしにとっての悲伝という物語でした。

 


わたしはどう足掻いても、わたしにしかない世界観と価値観の中でこれまで人生を過ごしてきた人間だから、

刀の付喪神である彼等(特に三日月宗近とう付喪神)の深層心理やその時々の思い、なんてわかりっこないのです。

彼のやり残したことって?山姥切との約束も、わたしの考察とはもっと違うそれこそ本編の中では描かれていないものかもしれない。

“歴史はすべて結果の上に成り立っている”というのは三日月なりの解釈です。それが正しいかどうかわからないように、わたしたちの知らない三日月の思いや考え、覚悟もあるではないかと。

そもそも、今までの舞台『刀剣乱舞』シリーズでわたしたちが見てきたものは、円環の中でのほんの一部でしかない以上、何回目のループで、どのように彼の思考が形成されていったのかを知る術もありません。

 

三日月役の鈴木さんの心の内にしかない三日月宗近像や解釈、思いというものもきっとあるのだろうと。なんとなく、そんな気がします。

 

 

 

 

千秋楽公演。円環の果てでの2人の勝負の結末が変わりました。

山姥切国広が三日月宗近に勝利したこと。勝負の後に三日月は消えてしまったけれど、

これが彼の望む最期だったのでしょうか。山姥切国広という存在は、彼にとっての救いとなったのでしょうか。


勝敗がどちらであれ、結いの目から解き放たれ消えることが彼の望みだったのか。

特別な存在であっただろう山姥切国広に「負ける」ことに意味があったのか。


三日月はあまり多くを語らない刀だったので(特に自分の思いや考えに関しては)、わたしには、この物語で何が三日月の救いだったのか、そもそもこの「悲伝」という物語の中に救いがあったのかどうかすら、今はまだ判断することができません。

 

 

花が綻ぶような微笑みと共に顕現した三日月を迎えて、物語は終わります。

 

舞台『刀剣乱舞』という物語は1つの区切りを迎えました。

 


果たして、この物語はハッピーエンドだったのか。

ハッピーエンドとはいかなくてもベストエンドなのではないか。

ハッピーを迎えられる可能性は秘めているのではないか。

ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。

あの三日月宗近は消えてしまったのだから、バッドエンドではないのか。

 

どれもがきっと正解だと、正解として良いのだと、今はそんな風に思っています。

 


 

正解は1つだけじゃなくてもいい。

 

 

千秋楽での演出変更を受けての感想として見かけたものの中に、

「ではそれまで見てきた52公演は不正解のルートだったのか?」というのがありました。


そんなことはないとわたしは思います。

自分の目で見た公演で自分自身が感じたこと、考えたこと。

それが正解でいいのだと、たくさんの正解があっていいのだというのが、


「悲伝」を見終えたわたしの、舞台『刀剣乱舞』という物語へのわたしの解釈であり感想です。

 

 

 

 

 

 

彼等の物語がこれからどうなっていくのかは未定ではありますが…

円環の先、未来のあの本丸で、いつかまた彼等に会える日が来ることを願っています。

楽しかった思い出と、決意と。

ごきげんようございます。
素敵な推しライフは満喫できておりますでしょうか。

 


数か月前に、無事に三十路を迎えました。

生まれ育った故郷で誕生日を迎えられたことも、サプライズで昔の友人がお祝いに駆けつけてくれたことも、彼らを好きになった故郷で、誕生日当日にライブがあったことも。

 

何もかもが奇跡みたいな出来事で、いろいろな思いが込み上げてきて、号泣オブ号泣。


まさに涙のライブでした。


席も普通に良席だったので、彼らからすると、情緒不安定な怪しい女だと認識されたろうと思います。


それも含めて、全部が良い思い出となりました。

 

最高の誕生日プレゼントです。一生忘れられない大切な宝物みたいな時間として、わたしの胸に刻んで生きていきます。

 


先日、そんなライブツアーもファイナルを迎えました。
三十路バースデーもあったので、本当に…本当に、心の底から思い入れの深いツアーとなりました。

 


彼らを好きになってよかった。

 


ユニット名すらない、ラジオのパーソナリティとして寄せ集められた彼らが、最初は拙いステップすら怪しかった彼らが、
最初は指示されることをこなすだけで精一杯だった彼らが、
ファンのことを思ってくれて、ユニットとしての在り方、それぞれのこうしていきたいという展望、
そしてユニットとしての、これからの未来のことを自分たちで考えて模索して、実現させてくれるような存在になったことが、彼らを見てきたファンの1人としてとても嬉しかったです。


ファイナル公演で、アンコールで1曲だけ増えた「みんなが1つになれる曲」を、肩を組んで寄り添って歌っている姿を見て、
これからも、いつまでも彼らが存在する限り、応援していこうと思えました。


素敵な時間をありがとう。

 

 


ライブツアーがファイナルを迎えているとき、2推しくんの復帰作となる舞台も幕を上げていました。

 

復帰作の舞台ではなく、ライブを選択したことを、後悔してはいません。

 


ただ、復帰作となる舞台は、結局、チケットを取ることができませんでした。
千秋楽公演のライブビューイングはありますが、生で見ることは、恐らく叶わないでしょう。

 

行きたくても公演に行けないもどかしさと、悔しさと、悲しさが、今さら込み上げてきました。

 


わたしの頑張りが、ガッツが足りなかったのかなあ…

 

ここからはただの愚痴になってしまうので、行けない人間の、選ばれなかった人間の戯言と思っていただいて構いません。

 

 

がんばりや気合ってなんだろう。
友人に協力してもらうとか、複数アカウントをかけるとか、そういう方法ではないとチケットを取ることができないってなんだろう。
わたしに足りなかったものってなんだろう。

遠征するとか、複垢とか協力とか、いくらでも方法はあったのかもしれません。
あったのだと思います。

 

でも、そんなやり方じゃないと観劇することが叶わない作品は、わたしには敷居が高すぎるって思ってしまいました。一度そう思ってしまうと、以前は楽しみにチェックしていたツイートもブログも目にしたくなくて、
好きだった人なのに、応援したいと思った人なのに、見たくないと拒否してしまう自分がいます。

 

 


ガッツって難しいなあ…
こんなことで推しくんや仲良くしてくださっている同担の方にモヤモヤしてしまう自分も最高に嫌で嫌でたまらない。
こんなにしんどい思いをするなら、好きにならなければ良かった。応援したいって気持ちになんてならなければよかったとさえ思ってしまいます。


ほんとに勝手ですよね。


1番キャパの大きい会場を選択せず、ライブを選んだのはわたし自身なのに。

 

 

でも、1度モヤモヤしてしまうともう全部ダメになりそうです。

 


吹っ切れた気持ちで、今月は楽しかったライブの思い出だけに浸りながら過ごしたかった。同担さんとも、これからも仲良く推しくんの話をして楽しくご飯に行ったりしたかった。

 


でも、今のわたしには全部ぜんぶ無理そうです。

 

 

 

 

 

 


自分の気持ちと向き合いながら、しばらく2推しくんからは離れようと思います。
もしかしたら、舞台に通うことはなくなるかもしれないけれど、2推しくんを嫌いになるわけではありません。
短い期間だったけど、イベントに行ったり、チェキ撮ったり、直接お話もさせてもらえて、楽しくて幸せな時間でした。
まだまだ人気作の人気キャラクターが続いているので、ファンのみなさんの心境を思うと、がんばってくださいとしか言えないですが…
茶の間になっても、茶の間らしく応援し続けています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなネガティブなこと言いつつ、しれっと2推しくんの舞台に通ってたら鼻で笑ってやってください。

さようなら、こんにちは。わたし。

ご機嫌いかがでございましょう!

素敵な推しライフは過ごせておりますでしょうか!!!!!

 

不穏なタイトルですけどもなんてこたあないのです。めっっっっっっっっっっちゃ個人的なこと。

 

恐らくいやMaybeいや100%、これが20代で最後のブログになるかと思います。

次の更新はいろいろと現場が落ち着いたらそれをまとめたいなって思うんですけど、その頃には1つ歳を取って、10の位も1つ増えます。

 

 

もうすぐ、30歳になります。

 

 

別に1つ歳取るだけやんけ~~~~とか思われる方もいるでしょう。実際そうなんですけどね。

なんか、なんというか、わたしの中ではすごく大きなこと……だったりします。

 

19歳から20歳になったときは、学生だったこともあったけど大人の仲間入りって感覚もなくって。10歳の頃の自分とか思い返して感慨深い気持ちになったりもなく、本当になんとなーく迎えたと思います。ぼんやり生きてたし(今もぼやっとしてるけど)本当に当時の自分が何考えてたかとか当日何してたとかまったく覚えてないくらい印象に残ってない。

 

けど、今は20歳の頃のこと、もっと前の高校生の頃や生まれ育った故郷の大自然のこと。25歳くらいからかなー。ぼんやり30歳という壁?を迎える現実に向き合いはじめたりして。結婚についてはあまり考えないし焦りもないのだけれど、いつまでオタクやってるのかなとかね。その1つの山というか、区切りとして30歳っていう年齢がありました。

 

30歳になったら、スパーンってオタク生活に区切りをつけようかなって。そう思った時に、そのゴールに向かって後悔なく生きてみたいって気持ちが芽生えました。茶の間のようなオタクだった自分が、多いとは言えない回数ではあるけれど舞台を観劇したりライブに足を運ぶようになったり。推しと呼べるくらい素敵だと思える人に出会うことになったり、そんな人と実際にお話して、チェキとか撮ったりね(笑)

 

20歳の頃のわたしは、30を目前に控えた自分が今こうして好きだったものを趣味として生活してるなんてまったく思ってなかったな。

 

画面の向こう側で見ることしか叶わなかった人や作品を実際に目で見ることの喜びとか感動とか、この世界に実際触れることができるようになるなんて、想像もしてなかったし、自分にそこまでの行動力があるなんて思ってなかった。

 

この趣味に出会うことができて、自分の目で見て、五感ぜんぶ使って触れることができて、そして推しくんという存在に出会えて、わたしは本当に幸せ者だと思っています。

こんなこと言うと、30歳を機に推しくんから降りてこの世界から身を引いてオタクも辞める!宣言みたいになってしまいましたが。

 

いつからか、年齢というもどかしさとか焦りや不安よりも、まだ推しくんの輝く姿を目に焼き付けたいなって気持ちの方が大きくなっていました。

 

 

なので!!!!!30歳のいい歳ではありますけど!オタクは辞めないし、舞台も行くし推しくんのことも応援し続けまーーーーす!!!!!

 

 

いつか来る終わりっていうのは、ずっとモヤモヤとして心の中にあり続けているし、それが前面に出てくるともうオタク辞めようかな……みたいなネガティブスイッチがすぐ発動するので、推し活続けていく限り付き纏ってくるものなのだと思います。今も文章ぽちぽちしながらずーーーんってなってる。

 

終わりっていうのが、わたしが何かに絶望してもういいやってなる(のは想像したらちょっとだけ嫌だけど)とか、もう最高に充実した日々だったよ!ありがとう!!あばよ!!!!!ってスパーンと切りを付けることができるのなら、いつか楽しかった思い出として、幸せな時間だったと思い返せる日が来るのでしょう。でも、そうじゃないことで(或いは半強制的に)ある日突然終わりを突きつけられることだって珍しくないなってこの場所を趣味としてから感じる瞬間ってたくさんあるなって思うんですよね。

 

だからってわけではないですけど、わたしの中で勝手に、今年は趣味に生きる1年にしたいと、オタク活動していく中でやりたかったことや叶えたかった野望はぜーんぶやってやろうという目標を掲げています。言霊ってあるのかわからないけれど、意外と順調に叶えられつつある気がしているので、趣味以外の私生活は肉体的にも精神的にもゴリゴリ削られてはいますが何だかんだで元気!な気がする。

 

 

びしばしオタク活動して歳を重ねてもペースは相変わらずまったりどころじゃない更新頻度ではありますが、これからものんびり続けていく所存です。

 

 

 

 

 

来年、また歳を重ねる瞬間に、「去年は幸せだったなあ」って思うことができたらいいな。

 

みなさん、そしてわたしも!素敵な推しライフを!!!!

 

 

 

今年もオタクとして生きるという決断に至りました。

ご機嫌いかがでございましょう!

素敵な推し活ライフは過ごせておりますか??

 

いやー……

1月の終盤に2推しくんの舞台から本年のオタク活動がスタートした訳なんですけども。

 

2月に、2推しくんの誕生日イベントがございました。ざわめいておりましたね、わたしも含めですけど。

あ!2推しくんの名前は、このブログで名前を挙げたこともあります。バレバレかとは思うのですが、推しとする限り名前は出さない主義なので(何のポリシーやねん)、今後、わたしが彼を推しとして認識する限り、名前が登場する機会はないでしょう。でも、バレバレだと思います。濁すのは下手くそなので、直球にいきます。でも、名前は絶対に出しません(2回目)。

 

ラストに衝撃すぎる爆弾発言を投下して、彼のバースデーイベントは終了いたしました。あの瞬間の彼の表情や仕草、声。そして会場の空気感。一生忘れることはないでしょう。

 

「大きな決断をします」

 

彼は、静かにそう言いました。

その時の表情と空気があまりに重すぎて、楽しかった、参加することが出来て本当に良かったという気持ちから叩き落とされたような気さえしました。

そのくらい、わたしにとっては衝撃的な一言でした。

 

俳優としての路線変更。事務所の移籍。海外への留学。結婚は……ないとは思っていたけれど、そう思い込んでいたいだけだったのかもしれません。

いろいろな可能性を、彼からの発表があるまでの間に考えていました。

ここ最近の活躍が凄まじい勢いだった方なので、仕事の…舞台情報の解禁がないことも、余計に不安になりました。

 

何かがあって、長期休養をしなければならない状況なのだろうか。ぐるぐる考えて考えて、最終的に行き着いた結論は休業という道を選ぶのかなってことでした。

留学にしろ休業するにしろ、待っててと彼が言うのだったら待とうと決めていたけれど、本当に待てるという自信はなかった。2推しくんだけを一途に応援しているわけではないので何言ってんだコイツって感じですけど、他に応援したいと思う人が現れるかもしれない。応援し始めて日は浅いのに、彼にまったくと言っていいほど興味がなくなってしまうことが何故だか堪らなく怖いと思いました。いつ帰ってくるのか、そもそも帰ってくるのか否かさえわからない状況だとしたら、それでもわたしは彼を好きでいられるのだろうかと考えたときに、絶対に好きでいられる!と胸を張って言えない自分がファンでいていいのかな、とかね。

いろいろなことが重なってマイナス思考に陥った頭では、本当に最悪の想像しか出来なかったんですよね。今になったらぐるぐる悩んでた時間が勿体なさすぎて笑えるけど。

 

結局、彼の決断というのはデビュー時に負った怪我の手術をしたということでした。リハビリも必要なので、休業とまではいかなくても、当たらずしも遠からずな答えだったかなと。

結婚?移籍??しないよ~~~って笑ってたのを見たときは安心よりもぶっ飛ばすぞって気持ちになったけれど(笑)

舞台に出演するのはしばらく先になってしまうけど、イベントなどの仕事はちょこちょこやっていきますということで、とりあえず手術が成功してよかったねと安心しましたし、リハビリも…人体の構造に詳しくないので何とも言えないけど大変なんだろうなって考えてました。

 

彼に対しては、デビューが遅かったことに対して本当にコンプレックスというか気にしてるんだなあ…そんなに気にするほどのことかなあという印象はずっとあったし、何と言うか……「生き急いでる」感がすごくするんだよなって思ってたんですけど。今回の件で、自分の中にあった疑問というか彼に対して抱いてきたものがストンと落ちた気がしました。なので、まあ……イベントの最後の最後にあんな空気醸し出して予告する必要があったかどうかは別として、彼の「大きな決断」に対してそれだけ???みたいな拍子抜けとかはしてないですし、きっとたくさん悩んで、不安もあったのだろうなという思いです。

 

彼の決断内容によっては、降りるかこのジャンルから足を洗う…オタクを卒業するとまではいかないけれど、ガッツのある推し活も出来てないし、推しという存在を綺麗サッパリなくして、年に2,3回ふらっと舞台行くかーくらいに、撤退しようかなって考えてたりもしました。重いな、わたし(笑)

 

彼にとっての決断がデビューそして怪我をして5年っていう節目だったのもあるけど、芸能関係者ではないのでデビューもくそもないんですけど。

2018年、わたしは人生のスタートを切ってから30年という節目を迎えます。

この節目をきっかけに、オタクであることを最後の年にしてもいいのではないかとも思ったりしました。

 

推しという存在は、永遠のものではないとわたしの中で思っていて。

推しはいつまで第一線で飛躍出来るのか、そもそも、2.5次元のブームというのもいつか終わりのときが来るのだと思っています。

推しに興味を失くすかもしれない。推しが引退してしまう未来があるかもしれない。

わたしがこのジャンルから身を引くのが先か、推しが表舞台から消えていってしまうのが先かはわからないけど、いつか来るであろう「終わり」がずっと怖かった。見ないようにしてたし、考えないようにしてたけど、改めて、応援したい存在がいるということ、趣味と言えるものがあることへの幸せを実感すると共に、失ったときの喪失感の大きさについても見つめ直すことが出来たような気がします。

 

今は、彼のリハビリが順調に進みますよう、元気な姿で舞台上にいる姿を見ることが出来たらいいなと願うばかりです。

 

 

あ!

次回ちゃんと記事にしたいのですが!

やっと今年初の1推し舞台に行ってきました!!!!しばらく作品から離れていたけれど、わたしにとっては特別な作品でいつまでも良い思い出として胸に閉まっておこうとしていた作品に、まさか1推しくんの出演が決まって、出戻りする羽目になるとは思っていなかったです。でも、行ってよかった。

 

年が明けてから2推しくん2推しくんだったのですが、やっぱり1推しくん最高好き!!!!!みたいな感情に駆られました。オタクって単純ですね。

 

 

生存報告。

毎日、本気かよ?!ってなくらい寒いですね。

ご無沙汰どころじゃないですね。前回更新から2カ月ですか…時の流れって早いですねBBAになるとぼんやりしてるとあっという間に1日どころか1カ月程経過するのに驚きます。

わたしがぼんやりしている間に2017年サヨナラ、こんにちは2018年して1月経ちそうとは。あらやだ。

 

2017年の振り返りはそのうちやります、多分きっと。たぶん。うん、たぶんね。

 

さて。年も明けて早1カ月が経過しようとしておりますが、皆さま、素敵な推し生活は過ごせておりますでしょうか。

ワタクシはと言いますと、2018年に入ってからですねー……………

 

 

 

 

何もしてない!!!!!!!!

 

 

いや、本当に何もしてなかったんです。体調諸々事情があって、仕事も今はしていません。通院以外は基本的に引きこもっておりました。現代社会は便利ですね。必要最低限の食料等、家にいてもポチるだけで何とかなるのですから。入ってて良かったアマ〇ンプライム。

 

ここ1カ月のわたしは「とりあえず生きてる」状態でした。気力がないから起き上がることさえ割と重労働だし、お布団とトイレの往復だけで精一杯で、下手すりゃ這いつくばって移動。おかげで匍匐前進が少し上手になった気さえしてきます。

 

あ。年明けすぐにインフルエンザにもなりました。おかげで今年の観劇始め予定だった推しくん舞台が見事にパーになりました!!通いたかったのになあ…インフルの馬鹿野郎。

 

とまあ、2018年初っ端から酷い有り様でございました。今年の観劇始めは2推しくんスタートとなりそうです。というか、今のところ2推しくんの舞台とイベントの予定しかないのだけれど、わたしの1推しは果たして誰だったかなHAHAHA。

 

こんな状況ですので、今後の活動予定がどうなるのか自分自身でもわからんところだったりします。昨年も終わりかけてる頃に、今更かよ?ってくらいの人にドブっとハマって、見続けたいと思えるようになったというのに。

 

情けないですね。チケットが取れないとか物理的な理由で行けないことも勿論めちゃくちゃ悔しいし辛いですが、精神面や体調面で痛手があって予定が組めないというのもなかなかにキツいものがあるなと改めて思います。

弱っちい自分が不甲斐なくて仕方ないですし、趣味を充実させるために生きてるみたいな、趣味の片手間に仕事してるんだ〜くらいに、他に何もない人間にとっては、それが難しくなってしまった時、途端に生きていることさえ何だか虚しくなってきてしまいます。

 

いや、あんまり弱気になるのは宜しくないですな!はっぴーにいきましょう!!

こんな奴でも、観劇好きで推し活(と呼べないくらいの活動ですけど)してるんだなあ茶の間かよ、コイツよりわたしの方が上だわ、くらいにマウント取っていただけていれば、わたしの存在意義もあるというものですので、とても光栄に思います。

 

遅くなりましたが、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

今日も素敵な推しライフを!

わたしも近々、今年の推し活スタートです。