2017年最初に行った推しの舞台の話
タイトルの件について話したい。
もう、めちゃくちゃ話したかった!
そもそもの大前提として、
わたしは、所謂盲目厨と呼ばれるタイプの応援かもしれない。
なんだかんだ言いつつも、推しに対する不満はないし、
演技が好き、顔もまあ好き。声がめちゃくちゃ好きだし、性格も良い子だから大好き。歌はあんまり上手くないし、ダンスも動きは大きいけど、今の業界、ダンスやってた人はバシバシいる。
けれど、わたしにとっては、歌だって声に特徴があるから、周りが言うほど下手じゃないもん!って思ってしまうし、
ダンスも動きが大きくて、元気で大変宜しい!って気持ちでいっぱいになってしまうし、背も高くないし、スタイルも化け物じみたスタイルでもなかったりする。
それでも、わたしは彼を好きになってしまった。
だって好きなんだもん!仕方ないじゃん!としか言えない。
どこをそんなに好きになったの?と聞かれれば、うるさいくらいに彼の良さについてベラベラ語り始めるけど、
折角名前を伏せて話をしているからこれ以上はやめておこう。
彼の良いところはたくさん話せるけれど、こんなに素晴らしいんだよ!だからみんな、彼を推しにしようぜ!とはならないし、きっとそんなプレゼン能力はわたしにない。
そして、なんかよくわかんないけど、最終的にはやっぱりこの人だった。
みたいなフィーリング的なもので、推しというのは決まるのだと思う。
わたしの友人たちはみんなそんな感じだから、わたしがどんなに熱弁を奮おうと、靡くことはないのだと思う。
話が逸れまくってしまった。
年が明けてから見た推しは、相変わらずわたしの好きな演技をする彼のままだった。
主演で座長ではあるけれど、そんなに大きな会場ではなく、小劇場感のある現場だった。
舞台観劇を趣味としつつ、主に行くのは2.5次元モノだったわたしにとって、小劇場という世界はあまり馴染みのないものだったけれど、今の推しに出会って少し世界が変わった。
小劇場の良さも知ることができたし、同時に少し嫌になる部分も知ることができた。
舞台はナマモノという言葉はよく耳にするけれど、わたしにとっては生で見られるもので、生だからこその良さがあるのはわかっている。
でも、わたしの中ではあくまでフィクション。夢みたいな非現実の世界。
そんな素敵な空間に立っている推しが見られれば幸せだし、わたしは推しから見える景色の一部としてうすらぼんやりと存在している。それくらいがちょうどいい。
そういう世界に浸って生きていたい人間なので、大人の事情だとか、どこかの何かしらの陰謀とか、そういう、変に現実を突きつけられてしまうと、夢くらい見させてくれよぅ…となってしまう。
年明けに見てきた推しの舞台もそんな作風だった。
どこか反社会的とでも言えばいいのだろうか。
わたしはまったくもって高尚な考えの人間ではないので、そういう作品を見たところで、「結局、何を伝えたいんだ??」と思ってしまう。
推しくんの演技がとても素晴らしかった!以上、解散!
わたしの2番目の推しも、そういった作風の舞台に主演で出ていたときがあった。
見てるのが辛くて辛くて、こんなのマチソワしたらわたし壊れるんじゃなかろうかって思うくらいSAN値がゴリゴリ持っていかれた。
1推しくんの作品は、まだ希望があるラストだったから良かったけれど、今回の作品を見てみた上で、1つ気づいたことがある。
わたしには、高尚な作品は無理なのだと。
苦手なんだと思う。
だって、どういう感想言えばいいのかわからないんだもん。
「推しくんの作品見て、わたしも将来とか日本の未来についてちゃんと考えないといけないなあって思いました」
とか?
小学生の読書感想文じゃねえんだよ、みたいな薄っぺらい嘘をつきたくもない。
下衆で屑なわたしは、推しが泥臭く生きる役とか、べっこべこになるくらいに可哀想な役とか、絶望に歪む表情とか惨めに泣いて喚いて怒り狂うみたいな役は見てみたいけど(酷い性癖を暴露してしまった)、
作風的な意味で、どういった反応を返すのが正しいのかわからないものは苦手だと改めて思った。
これも、推しの今後の役者人生にとって、良い経験になれば…とだけ思い、劇場。後にしたのだった。
たまには、ドコメディみたいな、
ただ笑って、推しにキャーキャー言って、どちゃくそかわいかった!!!!!推しが世界一かわいい!!!!!!みたいな頭の悪い感想しか抱けないような、客席みんなお馬鹿さんかな?って思えるみたいなそんな作品も見たくなってしまうから、わたしは我儘なオタクなんだと思う。
めんどくさいファンでゴメンね。
でも、同じくらいめんどくさい推しがわたしは好きです!
惚気けて終わり!