サヨナラを、振り向くな。
タイトルは乃木坂46さんの『サヨナラの意味』にある歌詞の一部です。
この曲がさ~~~~~~~推し活を(多分)終え(ようとして)た自分、推し活の終わりを迎えようとしていたときにものすごーーーーーーーーく刺さりまして。
1推しくんの最後の舞台を見に行くときも、帰りの電車の中でも、ずーーーーっと聴いていた曲です。
全然関係ないけど、乃木坂ではななみん推しでした。まいやんの顔に生まれてたらいろんな俳優の現場に現れて、自信満々に接触荒らしとして躍動していたと思うので、ぶすはぶすなりにもっさり地味な顔面とスタイルで良かったような気がしないでもない。話が逸れました。いつものことですが。
そんなこんなで、ごきげんようございます。
本日も素敵な推しライフは満喫できておりますでしょうか。
さて、前回のブログでは推しくんたちと(一旦)サヨナラをしてきた(つもり)の記事を上げたわけなんですけれども。
ハイ、嘘になりました~~~~~~~。
先日、2推しくんイベントの次の日に1推しくんのイベントがあって、まあチケット取れたし…ってことで軽率に参加しました。
12月初めは、推し声優さんのアニバーサリーライブのために神戸へ遠征もして。
今年1年の目標っていうか、来年からがどうなるかわからない分、今のうちに彼らの姿を目に焼き付けておきたいなって思って。
30歳になった月かな??推しコンプリートすっぞ!って意気込んでそれが叶ったから、1年の締めくくりも推しコンプリートできて良かった。
幸せだなあって思うし、(オタ活としては)濃密で最高に幸せしかないな~~って1年で、最高の30代のスタートが切れたと思うんですけど。
その分、私生活はぼろぼろの満身創痍状態です。身体も、精神も。金銭的にも。
オタク活動がつかの間の癒しとしてこれまであったから、何とか生きる活力が沸いてたくらい、推しという存在に依存しきっていたので、来年からはいろいろなことを諦めなくちゃならなくなるのかなって考えると、わたしは一体何のために生きたらいいかわからなくなってしまった。
行きたい!と思う作品があって、チケットが取れないとか自分でがんばるだけがんばって、それでもダメだった方がよっぽど良かった。
“戦う”という次元にすら今の自分ではたどり着くことができないんだって思うと、本当にもう消えてしまいたいです…。
こんなに虚しくて悲しい気持ちになるのなら、舞台なんて好きにならなければよかった。オタクになんてならなきゃよかったって、過去の現実は変えられないけど、そんなことすら思ったりもします。
わたしは何のために東京に出てきたんだろう。
舞台やライブの楽しさ、推しという存在の偉大さ。全部ぜんぶ知らないままでいられたら、わたしは精神的な病気にもならず、今も元気に北の大地で純粋な茶の間として生きていられたのかもしれない。
推しくんたちの来年についてはとても楽しみです。きっと明るい未来が待ってるんだろうって思える。
声優の推しさんのレーベルは来年10周年記念のフェスがあります。
どれも行きたいよ。ステージで輝く推したちをこの目で見たいって思う。これからの彼らの活躍を、全部は無理かもしれないけど、見守りたいって思う。これからも一緒に歩んでいきたいって思う。
諦めるのは一時のことかもしれない。でも、その瞬間の推しくんは、その時にしか見られないって思うと、仕方ないよねで割り切れない自分もいる。
わたしはいつからこんなに弱くなってしまったんだろう。
自分で自分の命を絶つなんて勇気すらわたしにはないけれど。
死にたくないけど生きていたくもないって状態です。
2018年後半の活動まとめもちまちま書いてるんだけど、記事として完成させてしまうのが嫌で。
そうしたら、本当にわたしの2018年が終わってしまうと認めてしまいたくない。
推し納めは終わってるのに、そういう現実に向き合うのが、現実として受け入れてしまうことがたまらなく寂しいです。
消えてなくなっちゃえばいいのになって考えることありませんか?
死には痛みが伴うものだと思うから、痛いのは嫌だから、アニメにあるみたいな、わたしという存在が砂みたいにサラサラって消えてしまえたらいいのに。
砂みたいに綺麗に消えることが出来たら、こんな汚い思いも浄化されて、キレイな思い出だけ残したまま幸せに跡形もなく消えてしまえるような気がする。
世の中は聖夜を前に浮かれぽんちな雰囲気なのでしょうね。そんな時にこんな暗い記事でお目汚しすみません。
わたしは引きこもって感傷に浸りながら平成最後のクリスマスを迎えようと思います。
暇すぎてBANANAFISHのアニメを一気見して号泣しました(只今3週目10話なう)。入ってて良かった、Amazonプライム万歳。