ぬるま湯に浸る

2.5と呼ばれる舞台やら推しやらアニメとか。ゆるっと日常も。

「焼肉」という単語が地雷になった事件

作品を見た、ファンの方なら察してくれるでしょう……。

はい。

メサイア外伝-極夜 Polar Night-」を見て参りました。見て、しまいました………。

 

暫くしんどいbot化不可避な作品でした。ちょっといろいろと心の整理も出来てないし、謎が深まった部分もあり、消化不良な部分もあるんだけど…もう1回劇場に足を運ぶという暴挙には出られそうもないので、とりあえずですけど、ここに、感想のような…あの人への、あの2人へのわたしの思いを、吐き出そうと思います……。

感想じゃねえぇえええええ!みたいな文章ですが、あの2人の話題に触れるということでネタバレも結末にもガッツリ触れてます。というか、今回の記事タイトルが既にネタバレだよ!っていうツッコミは大いに歓迎します。いい店探して予約しなくちゃ…(傷を抉っていくスタイル)

 

今回の外伝製作が発表されて、キービジュアルやら予告やらあらすじやらが明らかにされていく度に、もう公式が煽ってくるスタイル全開だったので、正直言うと2人の結末というか、最悪の展開みたいなものはずっとずっと覚悟してました。そもそもオリジナルキャラクターだし、2人はメサイアでもサクラでもなければ、チャーチの人間でもないですしね。

メサイア歴はそんなに長くはないのですが、いついなくなってもおかしくないっていうのかな。なんとなくですけど、メサイアという物語が終わる、その最後まで生き残るキャラクターじゃないなって思ってました。2人ともね。なんかそんな雰囲気あるじゃないですか。

メサイアという作品には、わたしの推しくんは出ていなくて(メサイアを知るきっかけになった存在は元推しですが)、なので、特別思い入れのあるキャラクターだとか、めちゃくちゃ好きなメサイアコンビがいた訳ではなかったんです。三栖と周の2人に関してもそう。魅力的すぎるコンビだけど、そこまで特別かって言われると返答に困る…そんな存在だって思ってたんです。

思ってたんだけどなあ………。

最初から彼等を見てきた訳ではないし、寧ろ見た作品の方が少ないくらいなのだけれど。

 

今回の外伝を見終えて最初に思ったことは、「わたしにとってのメサイアという物語が終わってしまった」でした。素直にそんな風に思ってしまって、それがとてつもなく悲しくて、寂しかった。

メサイアではなかったけれど、三栖と周の2人の物語は、ここで本当に終わってしまったんだって思ったら、エンドロールが流れて、客席が明るくなった後も涙が止まらなくて、暫く座席から立てなかったんですよ。恥ずかしい。けど、一緒に見に行った友人のTちゃんも隣で同じように号泣してて2人で明るくなった客席で泣いた。「所詮はフィクション」という一言で片付いてしまうかもしれないけど、わたし、いつの間にか2人のことが、三栖と周というキャラクターのことがどうしようもなく好きで、とてつもなく愛おしい存在になってたみたいです。

ずっと、強いて言えば周ちゃんが好きとは言ってたんですけどね。初めて生で見たメサイアが鋼ノ章だったので、周ちゃんには幸せになって欲しい、周ちゃんが笑って暮らせる日が来て欲しいってずっと言ってた。けれど、今回の映画を見て、わたしの思ってた「周ちゃんの幸せ」の中には、当たり前のように三栖さんがいてこそのものだった。「周康哉が笑って暮らせる」世界、そこには三栖公俊が当たり前のように隣にいるって、そう思ってたんだってことに気づきました。周ちゃんと同じくらい、三栖さんのことも好きになってたんだよなあ…。

 

2人のことを、もっともっと見ていたかった。

 

メンヘラの周ちゃんはすぐにメンタル拗らせて三栖さんの目の届かないところに家出しちゃったりするけれど、三栖さんはそんな周ちゃんすら受け止めて、いつまでも待っていてくれるんだろうなって。2人はメサイアではないけれど、あの2人は、三栖公俊と周康哉という2人じゃなくちゃいけなかったんだよって、今、心の底からそう思います。

過激なこと言うと、こんな結末になるくらいだったら、2人で心中でもしてくれた方が良かったわ!!!!ってなったし(物騒すぎる)、少し前のわたしだったら、外伝なんてなかった…三栖さんと周ちゃんの物語は深紅で終わったんだ…あれが2人の始まりで終わりだったんだよめでたしめでたし(強制終了)してたところだった。

 

いや、フラグはビンビンに立ってたけどさあ……

主に公式が煽りよるおかげで。

「テロリストだった2人の最後の物語」っていうワードに関してとか“最後”じゃなくて“最期”なんだろ、あ゛????みたいな気持ちしかなかった(煽り耐性のなさすぎるオタク)。

 

見終わった後に思うことと言えば、本当に、「かつてテロリストだった2人の最後の物語」であり、「究極の平等の実現へ向かう始まりの物語」であったなあ………と(遠い目)。

三栖さんは永遠に明けない夜へと旅立っていってしまったけれど、最期の最期まで、彼には周ちゃんという存在が確かにいて、彼の目指してた世界の実現を、革命を託すことの出来る、そんな存在になれてたんだって思いました。周ちゃんがいつも三栖さんの後ろをついて行ってるようなコンビって思ってたけど(まあ、それぞれ勝手に動くし、周ちゃんはすぐ家出したり、メンタル拗らせたり紆余曲折ありまくったけど)、自分がいなくなっても、自分の目指してたモノを預けて、託すことの出来る関係になっていたんだなあ…と。

周ちゃんにとって、三栖さんは「ずっと自分を支えてくれていた人」だったけど、三栖さんにとっての周康哉という存在も、同じだったんだなって思ったら……しんどいね。

家族と同じくらいの存在になっていたんじゃないのかな。最初はどう思っていたのかはわからないし、劇中の周ちゃんの台詞にもあるように、お互いの過去がどうだったかなんて2人には関係なくてさ。妹さんのことも、三栖さんは周ちゃんが真実を知るずっとずっと前から全部わかってて、それでも、周ちゃんを受け入れて受け止めてくれてたんだと思います。2人が別れるシーンで周ちゃんが言いかけた言葉を遮って焼肉予約しとけよって言ったのは、そういうことでしょ…(号泣)素直じゃねぇえええええええもどかしいぃいいいいいい!!!!ってなったけど、何とも三栖さんらしいなって思いました。これ絶対行けないパターンやん…とも思ったけど。フラグすぎて、ネタバレ見てなくてもわかりやすすぎるわ!って思いました。応援上映があったら、\行っちゃダメぇええええええ/って声援が飛び交いそうですね(konami感)。

それに、支倉さんからのテディベア(支倉さんが三栖さんのお父さんってことなんですよね…?今その真実付け加えます??って思ったのはわたしだけじゃないはず)と、母と妹との写真。三栖さんに残った唯一の家族との繋がり(だと勝手に思ってる)の横にあるのが、周ちゃんからの書置きって。もう周ちゃん家族の一員って言ってるようなものじゃないですか???わたしの目と心が腐ってるせいでそう思うの??????誰か正解プリーズ。あの書置きグシャってしてなかったっけ…?って思ったけど、ずっと捨てずに残してたんだ、三栖さん…って想像したら、三栖公俊が愛おしすぎてたまんねえなって思った。三栖さんって意外と乙女だよなっていつも思ってたけど。

み゛す゛さ゛ん゛ん゛ん゛ん゛って感じ(伝わらないね、語彙力がいつにも増して酷すぎる)。

割とどうでもいいけど、劇中、「三栖さん」と「水」がゲシュタルト崩壊するかと思った。三栖さんなのか水さんなのか何が三栖さんで水なのかわかんない(SAN値がピンチ)。

真面目なようなふざけてんのかみたいな文章で申し訳ないんですが、いや、まじで悲しすぎて、ふざけてないと精神が死にそう。物思いに耽ると途端に頭の中を最期の2人の会話がフラッシュバックするんだもん…引きずりすぎィ……。地下水路のクライマックスシーンはね、ほんと…泣き叫ぶ周ちゃんと同じ気持ちだったし、同じことを叫びたくて仕方なかった。

\三栖さんが何したって言うんだよ!!!!!!!/

(応援上映があれば是非とも一緒に叫びたい所存ですね。DVDが出たら自主応援上映を検討しましょう)

 

彼等はメサイアって関係ではなかったけれど、三栖公俊という男は、サクラたちにも、チャーチの人間にも、本当にたくさんの人に、たくさんのモノを残して、植え付けて、でも、新東京市の一般人には決して知られることのない英雄として、新東京のたくさんの人たちのために死んでいったんだよね……こんなのってないよって思うし、ほんとに、三栖さんが何したって言うんだよ!ってめちゃくちゃ思うんだけどさ。でも、ものすごく三栖さんらしい最期だな、とも思えるんです。同時に三栖さんって狡いなって思った。最期まで足掻き続けて、泥臭くてかっこ悪くて、最高にかっこよかった。

「苦手なんだよな…」って呟きつつ、中指立てて大量の水に立ち向かってく後ろ姿が最高にかっこよくて、ああ、三栖さんは最期まで三栖さんだったって思えました。

諏訪部さんが、「軍人である以上、いつも覚悟はしていた…」って、静かに、穏やかに、死っていうものを客観的に冷静に受け入れて死んでいったのもまた印象的で。

サリュートからあの二択を与えられた時点で、三栖さんがどっちを選択するかなんて、周も、鋭利も伯も、チャーチにいた皆も、黒子も志倉さんも、そしてわたしたち観客も、みんながみんなわかってた。そして、三栖さん自身も、自分の選択を間違ってるとは絶対に考えていないだろうし、後悔もしてないとは思うんです。

でも、三栖さんには、諏訪部さんのような覚悟っていうものはなかったんじゃないかな。そして、遺していかなきゃならないモノ、成し遂げたかったことが三栖さんにはまだまだありすぎた。三栖さんの目指してきた革命。夢物語みたいな世界の実現。色んなモノを周ちゃんに背負わせてしまう、そして、周ちゃんを1人残していってしまう…そっちの“後悔”っていうのかな…無念さっていうか、上手く言葉に出来ないけれど、そういうモノが、彼にはまだまだありすぎた。お互いがお互いを理解しているようで、小さなことですれ違ってしまう(主に周ちゃんが拗らせてる)し、三栖さんはいつも不器用で言葉が足りないから…。いろんな、本当にたくさん伝えたいことはあるだろうに、「焼肉行けなくてごめんな…」って言葉でしか、いろんな思いを伝えることしか出来ない、不器用な三栖さんが最高に三栖さんらしくて。いろんな、たくさんのモノが詰まった一言だったと思うし、周ちゃんにも、あの一言だけで三栖さんの思いは伝わったと、わたしは思ってます…

み゛す゛さ゛ん゛ん゛ん゛ん゛(2回目)

なんていうか、三栖さんと中村の龍ちゃんがどうしてもオーバーラップしてしまうんですよね。

中村の龍ちゃん然り、玉ちゃんもそうなんだけど、本人たちのアクが強すぎて、どんなキャラクターを演じても、中の本人たちが出てきてしまうっていうのかな…役者として、それはどうなのかっていう善し悪しは個人の好みだと思いますし(わたしは、これ以上ないくらいの褒め言葉のつもりです)、そもそも、どんなキャラクターを演じても本人が出てきちゃうっていうのも、わたしの主観でしかないですしね。そんな大それた評論が出来る程、お2人の出演作を見てきた訳ではないので、わたしの個人的な見解にしか過ぎないですけど。

アクが強い故に…っていうのはあるのかもしれないですが、そのアクの強さこそ、あの2人の最大の武器なんじゃないかなって勝手に評価しています。お2人共、本当に素敵な役者さんですよね。中村さんのブログめちゃくちゃかわいらしいですし(そこは関係ない)。ひよこの絵文字多用してるところとか。何歳だよ…かわいいかよ…

玉城さんの「たまき」ってひらがな表記が地味にかわいいなって思います。

 

話が逸れた。キャラの話だった。

特に、メサイアという作品に関しては、2人共オリジナルキャラクターだし、本人たちが長い年月をかけて、作品を重ねる毎に作り上げていったものだったっていうこともあって、余計にキャラクターと役者さんを重ねてしまうのかもしれないですけど。

だからこそ、地下水路での、最期のシーンは余計にくるものがありましたし、これまでメサイアという作品を影ながら支えてきた 2人の最後の物語って考えるとね…泣くor泣くって選択肢しかなかった。

三栖さんが犠牲にならなくちゃいけなかったことに対して、周ちゃんは勿論、サクラの2人も、チャーチにいた一嶋係長たち、支倉さん、みんな、それぞれがやるせなさと無力さと憤りと、いろんな複雑な心境だったと思うんです。みんなのあの表情や、伯の手の中のナニーが握り潰されてぐっしゃぐしゃになってたこと、支倉さんや一嶋さんが拳を叩きつけたのがそれを物語ってる。

「三栖に」とナニーで乾杯するサクラの2人然り。「友人の死ってこういうことなのかな…」ってポツリと鋭利が零したように。三栖さんを“友人”と表現することは、サクラである2人には出来ないけれど、三栖さんの目指してた究極の平等が実現された世界だったなら…三栖さんを友人と呼べるような、2人にとっての三栖さんって、友人とイコールに近い存在だったんだなあって思うと…三栖さんは本当に大きな存在だったんだと改めて思いました。

みんなそれぞれ思う部分のある複雑な表情をしてるにも関わらず、誰1人として言葉を発さない、何も言葉に出来ないといった様子と、顔をぐしゃぐしゃに歪めて涙に濡れ、泣き叫ぶ周ちゃんとの対比。とても切なくて、悲しくて、残酷なくらい綺麗なシーンだと思った。泣き叫ぶ演技は玉城さんの真骨頂だと思います。美しい人が顔をぐしゃぐしゃにしてるのってたまらなく好きです、わたしが。

「お前、また泣いてんのか…」って静かに語りかける三栖さんの声の優しさも、「嫌だ!ふざけんな!!!」って泣き叫ぶ周ちゃんも。切ないって美しいなって、悲しさや切なさや寂しさ、哀しさって、同時にとても美しいと感じました。だから、あのシーンが本当に本当に頭からこびりついて離れなくて、思い出す度に苦しくて仕方がなくなる。三栖さんの涙、とても美しかったですね……

 

 最後の最後にかけた言葉が「周、がんばれよ…」っていうのが、また…ねえ………。

 

何度でも言うけど、三栖さんは狡い人だって思った。三栖さんには周ちゃんっていう、自分の夢見てた世界を託せる存在がいたからこそ、彼処であの決断が出来たのかもしれないけれど、

あの言葉は、「がんばれよ」に込められた意味は三栖さんにしかわからないし、嶺二さんの最期の言葉をきっと三栖さんは知らないだろうから、そういう意図があったわけじゃないってことはわかってる。きっと、これからも続いていく周康哉の人生に対しての三栖さんなりのエールなんだと思うんだ…思うんですけど……

 

わたしは、三栖さんの最期の言葉があったからこそ、周ちゃんはあの道を進むことを選んだんだ…いや、選んでしまったんだと思っています。

結果的に、周ちゃんは周パパに頭を下げて周家に戻り、内側から革命を始め、三栖さんの遺志を継ぐという、2人の革命はこれからだぜ!エンドなんですけど。

 

わたしはあのラストシーンに対して、なんて残酷な結末なんだろうと思ってしまいました。

あんなに忌み嫌っていた育てのではあるけれど父親に頭を下げ、飛び出していった周家に戻るという決断は、彼にとってどれほど苦しいものだったでしょう。その後、彼はたくさんたくさん努力をして、あの地位まで登りつめたのだと思います。三栖さんと約束した“革命”を、2人で始めるために。

 

皆が周康哉という存在に頭を下げ、道を開けるという構図。圧倒的なカリスマ性を纏ったあの姿は、自らが手に掛けた実の父親、堤貴也の姿そのものじゃないですか。う、うわー………ってなりました。

院長室にあった、三栖さんの家族の証であるテディベアと写真立て。そして、三栖さんが捨てることの出来なかった、周ちゃんの書置き。三栖さんが亡くなった後、彼と共に過ごしたあの家に1人でそれを取りに戻った周ちゃんは、その時どんな感情を胸に抱いていたのでしょうね。そして、それを今も側に置いておく意図も。三栖さんという存在を、残しておきたかったのかもしれませんね。三栖さんの言葉や、三栖公俊という人間は、周ちゃんの中で永遠に忘れることのない存在として、心の中にずっとずっと共に生き続けるのだと思うけれど。

三栖さんの家族を奪った元凶である周家っていうのを忘れない自らの戒めの意図もあるのかもしれないけれど、三栖さんが大切にしてきたものだから捨てられなかったんだろうし、三栖さんが残した、三栖さんと自分の繋がりっていうのかな。物理的なモノとして残ってるのってそれくらいかとも思うので(きっとやりとりした暗号文とかは消去してるだろうし)。目に見える形としてのモノを側に置きたかったのではないのかな。思い出って、いつか薄れていってしまうものだから…周ちゃんは、ずっと、そういう人の想いに飢えて、渇望していた人だったから。悲しいね。こんな形で、三栖さんは、永遠に周ちゃんの中に存在し続けることになるなんて…うわーーーーー(絶望)

「俺達の革命の始まりです…」と、三栖さんへ向けた、ラストの台詞が…ああ、三栖さんは周ちゃんに大変なものを残して、忘れられなくさせて、背負わせてしまう結果になってしまったんだって怖くなりました。三栖さんには、きっとそんな意図はなかったと思うけど。周ちゃんの力強いけれどどこか虚ろな目が最高に怖い。ラストに三栖さんのようにニヤッと笑うのは鳥肌モノでしたね。

あ、周ちゃん全然前向きになってなくないかい??ってなったのはわたしだけでしょうか……

 

「そんな世界ありえないです」ってきっぱり言ってた周ちゃんが、もしも、“究極の平等”を実現出来た時、成し遂げた世界の先に周康哉という人間は果たして存在するんでしょうかね…

あのラストシーンを見て、三栖公俊の死と同時に、周康哉という人間の大切なものが失われてしまったんだなと思いました。周ちゃんは元々、どこか歪で、「歪んでる」って三栖さんも言っていたけれど、三栖さんの死によって、周ちゃんの心も死んでしまった…そんなラストだったと思います……まじかよ。こんなのってないよ…まじで絶望しかねえな。

 

ただ、これから始まる“三栖公俊と周康哉の、2人の革命”がいつの日か実現するといいな。そんな夢物語をわたしは心から信じています。

何はともあれ、中村さん、そして玉城さんのお2人に最大級の感謝を。今までお疲れさまでした。そしてありがとうございました。三栖さんと周ちゃんの2人が大好きでした。

 

三栖さん。お疲れさまでした、ゆっくり眠って下さい。おやすみなさい、三栖さん…天国というものがあるかはわからないけれど、三栖さんが天国でお母さんと妹さんに再会出来ていたらいいな。そして、遠い未来(だといいなっていうわたしの展望)に、周ちゃんが三栖さんの元に逝くまで待っていてくれたらいいな。

 

つーか、こんだけ最後最後って煽っておいて、実は…とか、まだ何かあります!とかだったら公式まじで許さないからな!!!!!!とりあえず、周ちゃんがサクラに…みたいな、ご都合主義もここまでくると大概やぞ!って結末じゃなくて本当に良かった…まじで公式ふざけてんのか(激怒)ってなるところだった。

 

公式さんの言葉を信じると、2人の物語はこれで最後…とのことなので、寂しいけど…めちゃくちゃ寂しいし嫌だけど、

三栖さん、周ちゃん、そして中村さんと玉城さん。本当に本当にお疲れさまでした。たくさんのモノをありがとう。きっと、誰よりもメサイアという作品を、三栖というキャラクターを愛してくれてた中村さん。三栖公俊という男が、これからも続いていくメサイアという物語の中に、もう生きて存在していることはないのだと思うと悲しいって言葉じゃ足りないくらいの喪失感なんだけど。

でも、寂しいけれど、

 

最後にこんな風に、ずっと影にいた2人を主人公とした、外伝という作品でお別れすることが出来たこと。それだけたくさんの人に、愛されていた証拠なのではないかと思います。

三栖さんを、周ちゃんを、大切に演じてくれて、大事に作り上げてきてくれたお2人に、本当にありがとうございましたとお伝えしたいです。そして、メサイアという作品を、ずっとずっと支えてくださってありがとう。お疲れさまでした。お2人が三栖さんと周ちゃんを演じてくれたから、わたしはこんなにも、2人のことが大好きになりました。

中村さんが大切に育ててくれた三栖さんは、ずっとずっとたくさんの人の中に生き続けていくのだと思います。玉城さん演じる周ちゃんの中には、きっと、一生、三栖さんの思いが、三栖公俊という存在が残り続けるのでしょうね。

 

大好きだった三栖さんは勿論だけど、周ちゃんももう表には出てくることはないのだと思うけど、お2人が支えてくれたメサイアという作品を、これからも見守っていきたいなって、今は思っています。

 

ちょっともう1度映画館に足を運ぶ勇気はないのですが、どうやら配信もあるみたいなので…心が落ち着いたら、ちょっとまだ受け入れきれてないんだけど(メンがヘラってる)、そのうち改めて映画の感想をぶちぶち上げられたらいいな。

 

「明けない夜にも、お前がいた」

その通りの作品でした。メサイアではなかった2人の、最後の物語です。たくさんの方に、見届けて欲しいと心から思っています。